江戸時代に酒造業が盛んに
大宝律令(701年)により、全国は畿内と七道に分けられ、現在の兵庫県南東部と大阪北中部にあたる摂津の国には13の郡が置かれました。

その一つに川辺郡があり、現在に当てはめると、伊丹市、尼崎市、宝塚市、猪名川町、三田市にまたがって南北に長い武庫平野といわれる区域で、「伊丹酒造組合」組合員の蔵元の所在が包まれるような形となっています。
中でも、摂津の国のほぼ中心に位置する伊丹の町は、江戸時代に酒造業が盛んになりました。
伊丹で造られた清酒
伊丹で初めて造られたとされる濁りのない澄んだ清酒は「伊丹諸白」と呼ばれ、清酒の製造技術の発展、量産化の実現のほか運搬や販売の仕組みも整えられた、まさに産業革命ともいわれた酒づくりで、発展していきます。
伊丹でつくられた酒の多くは「樽廻船」で江戸へと運ばれ、「伊丹諸白」は、江戸では「丹醸」と称され人気を博しました。

摂津は「津の国」とも呼ばれ、江戸初期の劇作家「井原西鶴」が『西鶴織留本朝町人鑑』に「津の国のかくれ里」に、「清酒発祥の地・伊丹」の賑わいぶりを描いているように、伊丹のまちは永らく日本の酒造業の中心地であり、また極上の清酒の生産地でありました。

俳諧文化の華開く
そして、酒造業で栄えた伊丹の豊かな経済力を背景に、俳人「上島鬼貫」を生むなど俳諧文化の華が開き、現在にもつながる伊丹の文化発展の礎を築きます。

今も伊丹を中心に存在する蔵元
その歴史と伝統を受け継ぎ、今も伊丹を中心に「津の国」では名醸蔵元が存在しています。
伊丹に「老松」「白雪」、三田には「千鳥正宗」など、伊丹酒造組合に加盟する「津の国」3銘醸は、味わい豊かな「清酒」を造りつづけています。


